■2001/01/15(月)またまた雪が降る
 朝刊を見ると、お年玉付き年賀はがきの当選番号が載っていた。以前は15日抽選と決まっていた気がするが、ハッピーマンデーいうやつの影響で、日程が変更になったのだろうか。いつか暇をみて、出すことなくその役目を終えた年賀はがき数百枚の番号を確認しよう。ひょっとしたら、亡くなったばあちゃんが、私のためにあっと驚く置き土産をしてくれたかもしれない。

 今日も大雪。かなり積もって来たので、「こりゃ、もしかしたらいい写真が撮れるかもしれん」と思い、朝から三瓶へ車を走らせた。周りは真っ白、いいぞ、いいぞ。ところが、西の原を過ぎた辺りから車が尻を振り始めた。圧雪の下のアスファルトはもはや見えない状態。やばいかもしれん…。

 ちょうど簡保の宿まで来たので、深みにはまる前にUターンしようと車を左に寄せた。これがいけなかった。ずぶずぶっとにぶい音とともに、車が動かない。前にも後ろにも進まず、車輪は空転するばかり。降りて見てみると、車体下に雪が集まり、ちょうど小さな手をばたばたさせても動けない亀の子状態になっていた。スタッドレスタイヤとはいえ、ビートはやはりビートなのだ。

 簡保の駐車場まで走ると、ひとりのお兄さんがいる。「押してくれませんか」と頼むと、「はいっ!」と元気良く来てくれた。10分ぐらい四苦八苦して、ようやく雪から脱出できた。本当なら、車を降りてお礼を言うべきところだろうが、停車して、また動けなくなってしまうとお兄さんの苦労が水の泡となる。心の中でお礼を言いつつ山を下った。ありがとう、お兄さん!(「お兄さん」と思っていても、年下のケースが最近は多い)

 止まるのが怖かったのでそのまま下山。何の写真も撮れず、何のネタも拾えず。そうこうするうち、昼を過ぎてしまった。それから、別刷り用の原稿を書き、写真を焼きに行き、帰宅して別の記事を執筆。夜は、ファストフードを買って来て、家族で食べた。生きて帰ることができたのだからこの際、夕食がなんだろうと気にするまい。

 明日も寒いんだって? あー、やだやだ。

■2001/01/14()続・雪が降る
 今日も雪。道路まで真っ白になった。昨日、道路が白くなったらタイヤを履き換えると宣言していたが、寒いので家から一歩も出ないことにした。こんな日はあったか〜いお風呂に入りたいところ。だが、お湯が出なくなっていた。水は出る。水道管ではなく、お湯管が凍ってしまったよう。訳が分からん。

■2001/01/13(土)雪が降る
 朝から雪が降りしきる。隣家の屋根は真っ白。ひょっとしたら平野部の道路にも積もるかもしれない。今や買い物車となっているプジョー号は、夏タイヤのまま。あと1カ月あまりしかないであろう冬を乗り切るために、タイヤを換えようかどうしようか悩んでいる。明日、道路が白くなっていたら決断しよう。

 昼前、某政党拡大幹事会へ。夏の参院選での選挙協力の道はほぼ閉ざされ、独自候補を擁立することになりそうだ。雪の中、出掛けたら治まりかけた風邪の症状がぶり返してきた。昨夜、ちょっとよくなったと思い、ビールをたらふく飲んだのもいけなかった。風邪は万病のもと、場合によっては酒も万病のもと。今日はおとなしく休肝日にしておく。

■2001/01/12(金)柔軟な姿勢とは
 とある田舎町で事件が起きた。取材へ向かう若い記者に、デスクが「おい、『静かな町に衝撃』みたいな紋切り型の原稿は書くなよ」と声を掛けた。記者は「よし、『事件後も町は淡々』というトーンで書こう」と心に決め、現場に向かった。翌日の新聞を見ると、他紙に「衝撃」「驚き」という見出しが踊る中、この新聞だけは「淡々」とした町の表情を書き込んでいた。これらの出来事を踏まえ、若い記者は「記者は既成概念にとらわれず、柔軟な姿勢が大事」と結論付け、自らがその実践者だと胸を張った。

 こういう内容のコラムを新聞で読んだことがある。コラム欄は、発生もの原稿では見えない取材の裏側が分かることもあり面白い。その面白さは別として、私はこの記者を反面教師としようと思った。

 「既成概念とは逆トーンの原稿を書く」と、取材前に決めた時点で、「自分で作った既成概念」にとらわれてはいないか。ここには全く柔軟な姿勢はない。取材をした結果、町に衝撃があったと感じたなら、あえて「静かな町に衝撃」という原稿を書くことこそが、柔軟な姿勢だろう。こんなことを書いていたら「『自然に生きてる』って分かるなんて、なんて不自然なんだろう」というとある歌の歌詞を思い出した。

 今日はふらふらと取材に行ったり、人事異動の件で探りを入れる電話を掛けたり、上手な原稿を書こうと思い悩んだりしていた。俗っぽいことこの上なし。夕食時には、ナイナイやウンナンのバラエティ番組を見ながら、がはははっと笑っていた。こういう早い時間に夕食を食べてテレビを見ることこそ、記者生活の「既成概念」を撃ち破る画期的な生き方ではないか、などと自分を正当化しておこう。

■2001/01/11(木)風邪が続く
 風邪の症状が続く。決まりものを出稿、ほかの記事を少し手直しし、また布団の中で丸くなっていた。天気予報を見ると、今週末にかけて雪だるまマークになっていた。まだまだ寒い日が続く。

 洗濯機の調子が悪くなったらしく、妻が電器店の人を呼んでいた。来てから5分もせずに、とっとと帰って行ったので「どこが悪かったの?」と妻に尋ねた。原因は「ホースの中にごみが詰まっていた」だと。ホースの中を覗いてもらっただけで出張費1050円也。他人に頼む前に、自分でできるケアは自分でやっておきましょう。

 夜、ドラマ「カバチタレ!」を見た。この原作は、一昨日の日記にもちょっと触れた、私が単行本を買ってまで読みたい数少ないマンガで、週刊モーニングに連載中。キャストの性別、舞台となる街が全く変更されており、ちょっとびっくりした。ドラマの面白さとマンガの面白さは違うから、それはそれで良いけれど、深津さんが「栄田!」と呼ばれるたび、原作に出てくる身体はごつくて情にもろい栄田像(♂)が頭に浮かび、変な気分だった。このドラマを見て原作を知らない方、是非ご一読を。あまりのギャップに笑っちゃいますよ。

■2001/01/10(水)恐るべし膝の裏
 午前3時半、あまりの寝苦しさに目が覚めた。寒気がするのに熱い。熱を計ると38度3分。風邪の症状が出てきたようだ。以前、何かのテレビ番組で「発熱したときは、膝の裏側を冷やせば良い」というのを見たことがあったので、救急箱をあさって熱冷ましシートを取り出し、左右に1枚ずつ張り、再び床の中へ。膝裏冷却法の効果だろうか、朝起きると熱は下がっていた。

 その番組によると、膝の裏を冷やすのはドイツの「常識」なのだそうだ。ドイツ人曰く「頭を冷やすのはナンセンス」。子どものころから熱が出ると頭を冷やし、そのことに疑問を抱いたことはなかった。「頭を冷やして来い」「頭寒足熱」などの言葉があるため、何となく「頭を冷やす=良いこと」と信じていた気がする。本当はどこを冷やすのが良いのだろうか。

 話は変わるが、時差ぼけをなくす方法として、膝の裏に光を当てる、という方法を何かの本で読んだことがある。残念ながら、家庭内にあるような電灯では明るさが足りないらしいが、うまく活用できれば、夜勤と日勤が交互に来るローテ職場になったとき、いつもしゃっきりした気分で仕事に行けそう。

 身体のだるさはどうにもならなかったので、仕事は休んだ。一日中、布団の中にいて、やることもなかったので「膝の裏って何だろう」と考えを巡らせていた。

■2001/01/09(火)そこそこ読めるのは「朝」「大漫画本・原型」か
 取材ぼちぼち。出しそびれていた原稿1本を出稿した。

 夕方、散歩がてら書店へ。ぱらぱらとマンガ雑誌などを見た。かつて定期購読していた「大漫画本・精神」を手に取ったが、全盛期の面影もない。ちょうど最終回を迎えていた「最も偏差値の高い国立大の話」はひどすぎ。函館の高校を出て、大学に入学して、男女のもつれ合いがあって云々という数百回に及ぶ連載は、全て主人公の妄想でした、という落ち。最近、単行本を買ってまで読みたいというマンガが減った気がする。年をとってマンガの面白さが分からなくなったのか、それともマンガの質が落ちているのか。お陰で活字を読む時間が増えて、個人的には充実した夜を迎えられている。

 身体が少しだけだるく、風邪の前触れのよう。グリコ森永君から、明日の仕事の予定がなければ一緒にスキーに行かないか、と誘いを受けたが断ることにした。体調を整えなければいけないし、『取材したいこともあるので』。ちょっと無理して2重かぎかっこの文章を書いてみたが、仕事してるぞーとアピールするのはやっぱり性に合わない。私の目指す道は眠り狂四郎のような、普段は動物園などをうろうろして何もしていないように見えても、書くときはど〜んと書くような記者。なれればいいな、なりたいな、なれるかなあ、きっとなれるさ…。とりあえず、今日は寝る。

■2001/01/08()宝くじが…
 昨年暮れ、ロト6という宝くじを初めて買ってみた。1〜43の数字から6つを選び、全部当たれば1等。期待値は1億円。当選者がいなければキャリーオーバーという持ち越し制度があり、早くも4億円の当選が出たアレである。

 ちょうど暇だった時間に売り場が目の前にあったので、ちょこちょことマークシートをして買ったのだが、そのまま財布の中にしまい込んでいた。今日ふと思い出して取り出すと、抽選日はとっくに済んでいたので、当選番号案内のホームページに行ってみた。若い番号から順番に確認していく。

 「02、08…」。あれ、どっちも番号があってるぞ。そして3つ目以降の番号を確認してみる。こ、こ、これは・・・。残る4つは見事に違って大はずれ。期待して読んだ方、残念でした。もし、宝くじが当たっても日記にはきっと書かないでしょうね。

 「1等なんかが当たったら、人生狂うから外れた方が良い」なんて言葉も、宝くじを買った人間が言うと全く説得力がない。ギャンブルや宝くじで絶対に負けない方法、それはやらないこと。さあ、夢を見るのはこれぐらいにして、明日からはまた通常業務。

■2001/01/07()10数年ぶりに「ノッコン」という言葉を発した
 午後から高校ラグビーをテレビ観戦。我が故郷・佐賀県の佐賀工が初の決勝進出を果たしたのだから、郷里を愛する者としては見なければなるまい。佐賀工は以前から県内では無敵の存在だったが、ようやく全国トップレベルになったかと思うと感慨深い。な〜んて言いながら、普段は滅多にラグビーを見ることはない。実は我が母校も1度だけ、佐賀工を破り花園に駒を進めたことがある。その結果は…推して知るべし。佐賀工の皆さん、結果はともかく、熱くなれるいい試合をありがとう。

 ひのけさんの知人がスズキ・カプチーノを購入したそうだ。ビートとライバル視されるが、ノーマル仕様ならターボエンジンのカプチの方が圧倒的に速いだろう。ま、車の魅力は速さだけではない。ちょっと運転させて欲しいな、と思わなくもないけど。

 今日は仕事は一応休み。先に出す予定の原稿をちょこちょこと書き直した。

■2001/01/06(土)「ガイシャ」というだけでは魅力なし
 昼、さんのあへ。我が娘がポケモン好きだということを知ったZEO!!さんから、ポケモンシールを大量にいただいた。今のところ、まだシールという認識をしていないらしく、カードだと思って並べて遊んでいる。既に居間の柱はおじゃる丸やらのシールで埋め尽くされており、本当の使い道を知った娘がどういう行動を取るかを想像すると恐ろしい。ともかく、ZEO!!さんに感謝。

 帰宅して原稿執筆。昨日用意していた粗原稿を手直しした。思いのほか時間がかかる。夜は長電話の後、再びパソコンに向かい執筆再開。休日のだらだらモードから、少しずつ仕事モードになってきた。いい感じ。

 今朝の朝刊、我が社の一面トップは「ダイムラー『軽』参入」。一面を見て「うぁ!」と驚いたのは久しぶりだ。メルセデスとスオッチが共同開発し、販売までに紆余曲折を経た「スマート」が、輸入車メーカーから初めて軽自動車として今年中にも販売されるという。しかしこの記事、ハンドルが右か左か、噂されているように三菱が製造を担当するのか(もしそうなら国産車だ)など、車好きが興味を持つ点に何ひとつ触れていない。左ハンドルなら既に、車幅を削って軽自動車登録をしている並行輸入業者はいる。ま、マツダのお膝元でもあるし、車好きの多い広島ではこの記事は読まれたことだろう(とまとめておく)。

 スマートは2シーターで130万円前後、とビートにかぶる部分がある。が、個人的にはほとんど興味がない。ちょっと前にスマートをベースとしたスポーツカーを開発中、という記事を何かの雑誌で見たが、そちらの方なら話は違う。軽スポーツカーなら今は独占市場。それを見たホンダがS660を慌てて発売したりして、スポーツカー市場が賑わい、日本の景気は一気に上向く、なんてシナリオはいかがでしょう。

■2001/01/05(金)初仕事
 昨日から業務は開始しているが、取材・執筆という本来業務では今日が仕事始め。

 午前中、かわらメーカーの初荷式。この辺は石州かわらの産地。石州瓦業組合に加盟するメーカーの生産量の合計は全国シェア2割で、西日本に限るとさらに高い。ひょっとすると、我が実家の屋根を飾っているかわらもここの生産かもしれないと思うと親近感が沸く。

 執筆後、ふらふらとネタ探し。前日の疲れが残り、ゆっくりしたい気分だったが、年始めぐらい気合いを入れて行こう。それなりにいい取材ができたような、そうでもないような。

 昨日付より、我が社の新聞の文字が拡大された。計算をしてみると、紙面に入る文字数は約16%減ったことになる(見出し、広告の分量は考慮せず)。そっかあ、これまでより16%仕事の手を抜いていいんだ・・・ということになれば楽だが、世の中そうはいかない。記事の取捨選択がより厳しくなり、つまらない記事は容赦なくボツになる可能性が高くなったということだ。書いても書いても載らない、という状態は精神的に参ってくるので、使ってもらえそうな記事を書くよう努力せねば。

 昨日の新年互例会で会長が「しなやかな経営」を目指す、と話していた。某知事の発した言葉は、今年はさらに流行するのだろうか。私も今年はしなやかな日記を目指そうかな。それってどんな日記だろ?

■2001/01/04(木)予想通り「ご健筆…」という挨拶を交わした
 午前7時、広島へ出発。大田には雪は積もっていない。これは楽勝かな、と思いながら車を走らせていると、段々景色が変わってくる。緑だった田んぼや山の中の白が増えてきた。冬の中国山地越えは厳しい。それでも、冬タイヤに履き替えたビート号にとってはさして問題はなかったのだが、運悪くシャコタン夏タイヤのシルビアにつかまってしまい、そいつのケツを眺めながらの20キロ走行を余儀なくされてしまった。

 大田と川本の境辺りで、ふとジャージ男さんの忠告が頭に浮かんだ。「農道を通った方が早いですよ」。前にいるのろのろ車を避けるようにハンドルを切り農道へ。が、ほとんど車は通っていないらしく轍ができていない。路面凍結が怖かったので、結局スピードを出せず仕舞い。せっかくの忠告だったのに、こんな雪の日に試してしまい役立てることができないとは、まだまだ知恵が足りん。さらにその後、除雪車につかまるし、頼みの高速道も50キロ規制だったので、過去最高の3時間あまりを要して本社に到着した。

 午前中は新年互例会と支社総局長会議、午後から編集連絡会議とつつがなく終了。会議後に懐かしい面々と無駄話などをした。久しぶりにあったはずの人が私の近況を知っていたので不思議に思ったら、この日記を読んでいる人が本社にも少なからずいるらしい。この日記、仕事をしていないかのような誇張表現があるので、お間違えなく(と一応言い訳)。

 書店などを巡り、午後10時前、広島を出発。帰りは雪も解けていたので順調に進み、ちょうど日付けが変わるころ大田に到着。会議も疲れるが、広島まで日帰りするのはもっと疲れる。寝よ。

■2001/01/03(水)三が日終了
 時の経つのは早い。あっと言う間に今年も3日間が終了した。夕方、グリコ森永君がニューカーのオーパに乗ってやって来た。彼の訪問を祝うかのように、大雪。昨日は早くも黄砂が飛来し、雪と砂で車はどろどろに汚れてしまった。

 夜、娘を風呂から上げ、髪にドライヤーを当てながら吉田拓郎氏の「ビートルズが教えてくれた」を口ずさんでいた。それを聴いていた娘が「ビートが教えてくれたの?」と質問してきた。彼女の語彙に「ビートルズ」はないが「ビート」は含まれているらしい。我が娘なら、そのままで許す。

 明日は広島本社で支社総局長会議。年始の挨拶もあるので、礼服を着ていこうと昨年末にクリーニング店に出しておいた。店員さん曰く「礼服はハイクラス仕上げですので、31日の夕方になります」。その言葉を信じ、大晦日の夕方に行ってみると、店内に人陰がない。扉には、31日は昼過ぎで閉店、新年は4日まで休み、と張り紙がしてある。店を閉めるなら、ちゃんと教えて欲しかった。

 そんなわけで、明日は普通のスーツを着て早朝から出発予定。なるべく目立たぬよう、隅っこで小さくなっていることにする。「ご健筆のほど、紙面で拝読しております」などと、偉い方々に声を掛けられるのは苦手で仕方がない。こういう社交辞令に対し、普段の私なら言うであろう「ほんとに読んでますかあ?」などという切り返しは御法度である。「ありがとうございます。今年はさらに精進を重ねます」と、横綱昇進を控えた力士のような顔をつくりながら答えるのが模範回答だろう。ま、自分を演じ切るというのは、ある意味、立派な社会人の条件かもしれない。さて、力士の気分になって、寝る前に四文字熟語のおさらいでもしておこうかな。

■2001/01/02(火)ごろごろ
 外は冷たい風が吹き荒れており、一日中、家でごろごろ。刺身やあん肝などつまみになるおかずが多く、飲み物が進む。5年ほど前のドラマ「王様のレストラン」の全回連続放送が昨日スカパーであったので、録画して少しずつ見た。感想などを書こうかと思ったが、「それはまた別のお話」。

 明日から暖気運転開始。来週ぐらいまでじっくり暖めましょう。

■2001/01/01(月)新しい朝が来た♪希望の・・・になれば良いが
 新年を迎えた。喪中ではあるが、新しい年の健康を祈りつつ、黒豆や栗きんとん、エビの煮たやつなどおせち料理の定番を食べた。おせちは作り置きができるので、妻の仕事も楽になる。

 午後からジャスコへ。ジャスコ大田店オープン後、初の正月だが、かなりの賑わいである。いつもさんのあで見掛ける某氏や某氏の姿も見付けた。くら替えしたか!?

 新しいひげそりなどのほか、ゲーム機を購入した。この時期ならプレステ2かと思うだろうが、今さらながらニンテンドー64。ポケモン好きとしては、このゲームは外せまい。今年は故郷に帰らなかったので、そのためにプールしていた資金でゲームを買ってもお釣りが来た。プレステ2は、またの機会に手に入れよう。

 明日ぐらいまではぐ〜たらして過ごそう。


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