■2006/08/15(火)どこにタッチ?
 朝もごろごろ、惰眠をむさぼる。起きてネットニュースをチェックすると「靖国参拝に中韓反発」の見出し。事前にいわれていた通り、小泉首相が朝のうちに靖国神社に参拝したらしい。起きる時間が遅過ぎるものだから「首相が靖国参拝」のトピックは既にどこかに行ってしまった。いかんのう、早起きせにゃ。

 出社途中の車中でラジオを聴いていたら、お盆向けアニメ主題歌リクエスト特集というのをやっていた。突如流れてきた曲は「タッチ」。呼吸を止めて一秒あなた♪ のアレである。つい先日のブログオフ会でも、私の青春時代に、いかにタッチが重要な位置を占めていたのかを語ったところだ。曲が終わり、パーソナリティが開口一番、「岩崎『ヒロミ』さんの『タッチ』をお聴きいただきました」。宏美ですと? 良美です、ヨ・シ・ミ。ちょっと口が滑ったのだろうと聞き流していると、リクエスト者の便りを読み始めた。「こんにちは。岩崎ヒロミさんのタッチをリクエストします」。もはや、パーソナリティが悪いのか、リクエスト者が悪いのか分からない。そんなことを放ったまま、番組はどんどん進んでいく。

 さらにリクエスト者の便りは続く。「一番感動のシーンは、達也が電話で南ちゃんに告白する最終回です」。あー、もー。これだから素人さんは困っちゃうんだよな。少年サンデーの連載が続く中、いきなりアニメ打ち切り的に終わらせるために作られたシーンじゃないか。私も友人たちも「ほへ?」と思ったシーンに感動した人がいたとは。当時、私は高校3年生。

 仕事は紙面改革の作業。切りのいいところまで済ませ、夜も遅くなる前に帰宅。

■2006/08/14(月)逆向きに走る
 世の中が休日モードだということを道路事情で知る。昼すぎ、車で出勤していると、下り車線がびっくりするほど渋滞している。今日は宮島の水中花火大会。明るいうちからどんどん人が集まるのだ。その代わり、逆に広島市内の道路はいつもの4割減ぐらい。トラックと営業車両がほとんどいないと、こんなに違うものなのだとあらためて思う。

 仕事が終わったのが午後8時すぎ。今から帰れば、まだ花火は終わっていないだろう。家路を急ぐ。急ぐ理由は、自宅から花火を見るため…ではなく、花火後の渋滞に巻き込まれないようにするため。バイパスを走っている時も、ドーンドーンと夜空に打ち上げられる花火が見えた。この帰りのバイパスも、いつもよりスーイスイ。ストレスのない通勤&帰宅っていいね。

■2006/08/13()ブログオフ会
 本日は社休日。最近は2、3日おきに食料品の買い出しに行くのが私の仕事となっている。今日も昼すぎ、娘2人を連れ、近所の大型スーパーへ。太陽はジリジリ音がしそうなほど照りつけ、店内に入ると今度はカートが先に進めないほどの混雑。お盆というのも大変だ。

 必要な食材を仕入れ、カートを押して駐車場脇の通路を歩く。すると目の前で、駐車スペースではない人の通路部分に車を停め、そのまま店内に向かおうとする女性がいた。そんなところに停められたらカートが通れないし、子どもが車スペースに飛び出したりして危ない。しかも、混雑しているとはいえ、見える範囲で空いた駐車場はいくつもある。すぐに「こんなとこに停めたら通れないでしょう?」と、やや怒り口調を装って話し掛けた。するとその女性、「はい、すみません」と素直に車を動かした。

 そのままカートを押し進めていると、上の娘が「パパは偉いね」と言う。なぜかと問うと、娘は平然と「ちゃんと注意してたよね。私は他人に注意できないから」。なんだよー、大人の悪い部分だけ先取りして大きくならないでね。しかもなぜだか、上から目線。

 夕方、会社近くの店で「見出しのココロ」シークレットオフ会。ブログ仲間の集まりなので、あえて「オフ会」なんて書いてみたけど、要は単なる飲み会。今後どうやってブログを盛り上げようかとか、読者から募集した見出しコンテストの中間審査をやったりとか、わいわいがやがや。早い時間に飲み始めると、2軒行っても終電に間に合う。たまには、こういうのもいいね。

■2006/08/12(土)金属片ありがたや
 久し昼前、昼すぎと激し過ぎるほどの通り雨。カミナリが「ゴロゴロ」では「ドンガラガッシャーン」と鳴っている。山で木が倒れているのが分かるほどの臨場感。恐ろしや。ところがどっこい、ビート号で会社に着くころには晴れ間が見える。局地的かつ短時間の雷雨が最近増えたように思うのは、気のせいではないよね。

 仕事は日勤…のはずが気が付くと夜なべ。いいんです、戦力になっているうちが華なんですから。深夜のバイパスは、長距離トラックが少ないお陰ですーい、すい。お盆期間の出社、悪くないよ。

1円玉とアルミ片

 さて、写真は1円玉とアルミ片。未明の楽しい工作の時間です。詳しくは「愛Macな日記」にて。

■2006/08/11(金)寝苦しいのはペットも同じ
 久しぶりの本業、紙面制作のための出社。仕事はくらし面。長期休暇を支えてくれた職場の皆様に感謝です。

 親知らずを抜いて4日目。奥歯を食いしばっていれば、普通に生活はできるのだけれど、辛いのはやはり食事。口を開け、食べ物を入れ、口を閉じる。この動作をするたび、鈍痛が走る。一番の対策は、痛みを忘れるぐらいのおいしい物を食べることだ。

トイレでも寝るよ

 久しぶりにリスのメロディーちゃんの写真。以前「暑くなると巣箱に入らず、トイレで寝る」と書いたが、なかなかその現場を撮影できなかった。カメラを向け、オートフォーカスでジィーコとレンズが動くと「え? 食べ物?」という顔で飛び起きてしまう。今夜はぐっすり眠っていたのか、フラッシュを灯してもビクともしない。しかも、よっぽど暑いらしく、普段は身体全体を包むように丸めている尾まで、トイレの外に投げ出したまま。寝相の悪い子どもを見るようで、微笑ましい。

 このメロディーちゃん。全く無秩序に生きているかというとそうでもない。トイレは自分で場所を決めた場所で用を足している。生野菜はスノコの上、乾物は餌入れ皿の中と分けて与えているが、食べ残した生野菜を餌入れにせっせと移すこまめさ。これが実はありがたくなく、風通しの悪い皿の中に生野菜と乾物を一緒にすると、即日カビが生えてしまう。こういう知恵の足りなさが、何とも言えずかわいいのだ。

■2006/08/10(木)3日目は
 「歯医者」「歯科医」と打とうと思うと「敗者」「司会」と変換してしまう。こんなことで歯科医・歯医者と縁のない生活をしていたことを再認識する。

 さて、親知らずを抜いて3日目が過ぎ去った。「びっくりするほど顔が腫れる」とおどされたけど、さほど腫れずに済んだみたい。私は過去、大きなけがも病気もなく過ごしてきた。手術というものとも皆無の生活。けど、親知らずを抜く過程で、生まれて初めて身体にメスを入れられ、縫い合わされるという経験をいつの間にやらやっていた。最近の手術って、糸が自然と身体に馴染むものだとばかり思っていたが、私の身体には抜糸が必要な糸が残っているそうな。舌でちろちろと奥歯の方を撫でると、ぴろっと伸びた糸に触る。痛みは引いてきてるけど、こいつはちーと気持ち悪いね。左下奥の親知らずもすぐに抜歯してもらおうかと思っていたけど、どうしよっかな。面倒なことはまとめてやっておいた方が良いというのは頭では分かるが、痛いのってやっぱり嫌なんだよね。

 午後、テレビ欄改革の会議と報告のために出社。夜、帰宅。

■2006/08/09(水)2日目はパワーアップ
 親知らずを抜いて2日目。痛い。術後の経過を見てもらうため、午前中に歯科医へ。「痛い」と訴えると、「痛み止めはのんでますか」。あ、のんでないや。痛いはずだ。

 午後、妻と息子の退院1週間後の検診。その間、私は娘2人を連れて図書館へ。

習字の練習

 「命名」の札に名前を書くため、何度か練習。最初は絵筆で黒絵の具を使って書いたが、筆の滑りが悪い。次に上の娘に習字道具を借り、墨汁で書いてみる。筆の滑りは良いが、久しぶりに筆を持つとなかなか思った通りに動かない。「鷹」って字は画数が多すぎるぞ。っと、自分が名付けたくせに不満を口にしたりする。結局、清書もあまり上手に書けず。100点満点で60点ぐらいか。ま、親が自分で書くことに意味があるのだ。

 息子を風呂に入れていると、当たり前だけどえらく小さいもんだなあとあらためて思う。娘たちもこんな時期があったはずなんだけど、今の娘を見ていると、そんなことも忘れてしまっている自分がいる。いやー、よくぞここまで大きくなったもんだ。

■2006/08/08(火)ホスピタル トゥダーイ
 午後、思い立って歯科医に行くことにした。だましだましやってきた下側の親知らず。過去に右上奥を抜いた経験があるので簡単に考えていたが、先生曰く「下の親知らずを抜くのは、上を抜くより70倍痛いですよ」。70倍かぁ、微妙な倍数だな。先生はさらに「70倍って言っても、まあよく分からないでしょうけど」。はい、分かりません。

 顔全体を包むようにレントゲン写真を撮られ、鏡を口にくわえたまま5パターンの写真撮影。歯科医に来るのは10年以上ぶりなのだけど、私が知る歯科医とは全く違う感じ。デジタル技術はこんなところにも導入されていた。写真撮影後、口を大きく開けてみてもらう。先生「こりゃきれいな歯ですね。10年以上も歯医者に世話にならずに済むはずだ」。歯磨きはあまり熱心じゃないんだけど(1日に1回程度)褒められると嬉しくなる。

 今日抜くのは右下の親知らず。麻酔を打たれた後、キュイーンキュイーンとドリルがうなり、ゴリゴリとペンチで抜くような音がする。麻酔が効いているので痛みはないが、頭蓋骨を通じて衝撃は伝わってくる。麻酔をし、歯茎をメスで切り、歯を抜いた後、縫い合わせる。「歯を抜く」なんて簡単なものではなく、ちょっとしたオペだった。

 てなわけで、抜いて4時間以上が経過しても、奥歯からだらだら口中に血が滴る。うがい禁止令が出ているので、ペッペ、ぺっぺと唾を出す。結局、寝るまで唾は真っ赤なまま。カレーは2日目が美味しいというけれど、親知らずの抜歯は2日目、さらに3日目と痛さが増し、顔が腫れるのだとか。おそろしや。

 抜歯後の注意事項に、タバコを吸うなとか酒を飲むなとか、まるで長渕剛みたいなことを言われた。さらに、風呂に入るなとか歯磨き粉を付けて磨くなとか、うがいをするなとか、まーほんと、長渕じゃなくても「私の勝手じゃないの」と言いたくなってしまう。けど、小心者の私は、それなりに言いつけを守ってしまうのであった。そんなわけで今日は、意図せぬ休肝日。しかも、夕食後に痛み止めをのんだら急激に眠たくなり、日付が変わる前に床に就いた。

■2006/08/07(月)夏 広島と長崎から
 久しぶりに会社へ。必要書類を提出。「夏休み」の最中に、これだけたくさんの書類を書くことになるとは、思ってもみなかった。

 さだまさしの「夏 長崎から」のコンサートが20回目の今年で最後になったそうだ。8・6のヒロシマの日に長崎で平和を願う。始めた当初から「6日に長崎で歌う意味があるかと問われると分からない」と本人が言っていたが、私はその思いに強く感銘を受けた。「長崎から」が始まった1987年が、自分が九州を離れ、広島に住むようになった年であるというのも関係があるかもしれない。87年だったか88年だったか、チーさま(松山千春)がゲスト出演した時「さだが頼むから来てやったよ。長崎は暑いな。このまとわりつく暑さは何だ。やめて」と、毒舌ぶりを発揮していた。平和コンサートにそぐわない発言にも思えるけど、こういうことが言えるのが平和なのだとも思える。

 そんなさだまさしは来年、長崎の原爆の日8・9に広島から「夏 広島から」を開催したい意向だという。私としては、キターーーーという感じ。さだ、こうせつ、チーさま、ハウンドドッグ(1人じゃダメだよ)、民生・・・日本の歴史上最大の平和コンサートになると思うな。来年の8・9の有給休暇の予約って今からできます?

■2006/08/06()私の夢はラジオ局入社でした
 日が暮れるのを待ち、有田から広島へ。娘たちが眠れる状態にした方が疲れないし、深夜に高速道路を使うと割引がある。佐賀から福岡を通過する間、RKB毎日放送のホークス中継を聴く。マリーンズの本拠地・千葉の試合なのに、なぜかホークスびいきの中継。アナウンサーもRKB所属の人だ。千葉では中継はやっていないのかな?

 ラジオといえば、RCC中国放送。広島にいる時、午後6時から9時の間に車の乗っているときは、ほぼ必ずといっていいほどRCCでカープ中継を聴いている。なんと、このRCC。私の実家、佐賀県有田町でも、鹿児島市でも受信することができた。広島を出る時にセットしっぱなしのラジオが、ずっと鳴り続けていたのである。いやー、なんだか嬉しいなあ。

 野球ついでに、先日の王監督退院時の話。「森脇(監督)代行が胴上げされる所には必ずそこにいて一緒に胴上げを見たい」という言い方が、何とも王監督らしくて、ほろっとした。「胴上げまでにグランドに戻る」じゃないもんね。無事優勝した日、王監督はお酒を飲むのかな、それともラーメンを? 

 日付が変わったころ、廿日市インター到着。っというか、日付が変わる時間に通過するよう、時間調整をしながら車を走らせたんだけどね。ETCの深夜割引って金額が大きいから、時間に余裕があるんだったらやってみるに限る。

■2006/08/05(土)焼き物の里
 せっかくの有田帰郷。上の娘が「焼き物のくるくる回るやつを見たい」と言うので、ろくろ体験に連れて行った。「見たい」と行っていたのに、誰もろくろ体験をしていない。というわけで「じゃ、やってみっか(おぎやはぎ風)」ということで、電動ろくろで茶碗作り。実は私、有田育ちだけど、電動ろくろを使ったことがない。へぇ、こんな感じなんだぁと新たな発見。この茶碗は、娘の夏休みの自由研究になる予定。「手作り有田焼」って言ったら、胸張って展示できるぞ。

ろくろ体験

 日が暮れるまでには時間があったので、有田ポーセリンパークへ。写真で分かる通り、がらがら。バブル期に建設され、あちこち転売された後、現在は酒造会社のんのこが所有しているらしい。磁器で姉妹都市(友好都市?)縁組をしているドイツ・マイセンにちなんだ宮殿だそうな。この手の建物は、何を見ても「ハウステンボス」っぽいと思ってしまうのは、欧州に対する知識の薄さゆえですな。

ポーセリンパーク

■2006/08/04(金)龍門
 せっかく九州に戻るんだから、しばらく実家で過ごしたら。妻から言われた。娘たちの大好きなおじいちゃんは、ひとりになった。おじいちゃんとの最期の別れの後、もうひとりのおじいちゃんと遊んでもらうのもいいかもしれない。父、母、私と娘たちの5人で、自宅からほど近い避暑地、龍門峡へ。

川遊び オタマを食すカニ

 まずは近くのキャンプ場で食事。本来は有料の施設だが、町営ということもあり「2時間まで無料」の看板がある。この2時間というのも適当なもので、サイトにテントを張ったり、バンガローを使わなければ、料金を請求されることはない。実におおらかでよい。食事後、娘たちは川で水遊び。2枚目の写真は、オタマジャクシを食べるサワガニ。生きたオタマジャクシをはさみで捕まえ、口に運ぶ姿を見ることはなかなかないのでは。

コイのアライ

 龍門は「21世紀に残したい名水百選」にも選ばれた水のきれいな地。聞くところによると、数百年前からコイの養殖が行われているらしい。というわけで、コイ料理の店に寄り、アライとアラを購入。アラはコイコクとなる。広島では鯉は愛でる対象なのだけど、故郷に帰った時ぐらいは食べさせてね。この大皿で3000円。安っ! ただし、有田の龍門峡まで行かないと、このアライは食べられないけど。

 持ち帰り用の調理を待っていると、岩永浩美参院議員が独りでひょっこり店を出て行った。岩永議員は旧西有田(現有田)の出身で、県議時代からよく姿を見掛けた。私がまだ小学生のころ、お盆だったか、正月だったか、本家に親戚が集まっている時に「ごあいさつに」と、部屋に上がってきて、何やら皆と談笑していたことを覚えている。岩永議員は最近の分類でいうと「自民党の守旧派」ということになるだろうけど(郵政民営化に反対投票、9・11衆院選後に賛成)、田舎には必要な人なんだよなあ。

■2006/08/03(木)お別れ
 午前5時半、起床。さっき床に入ったばかりのような気がする。娘たちを叩き起こし、とりあえず着替え。お腹が空けば、車の中で食べさせればいい。午前6時半、娘2人と私の父を乗せ、鹿児島へ向けて車出発。

 平日の午前、順調に車は流れている。走行距離もガンガン伸びている。葬儀の1時間前には到着できるだろう。そう思い、ふと道路脇の看板を見ると「湯布院」の文字。鹿児島へ向かう九州道に乗るはずだったのに、鳥栖ジャンクションで大分道に乗ってしまったらしい。しかも、湯布院に着くまで、そのことに気付かないなんて。何という失態。今度は再び、山を超えて鳥栖を目指す。都合200キロのロス。葬儀開始から40分ほど遅れ、会場に到着。目を閉じた義父に、生まれたばかりのタカヤを抱く妻の写真を見せた。

 夕方、佐賀へ。夜、到着。

■2006/08/02(水)主夫中断
 妻が息子を連れて帰ってくる日。王監督が退院し、久しぶりに私たちの前に姿を現す日。この日を待っていた。そんな中、妻の実家から電話。妻へのねぎらいの電話だと思って疑わなかった。昨夜、義父他界。一瞬、何のことだか理解できなかった。つい一昨日、義姉から「元気ですよ」とFAXをもらったばかりだったのに。

 末期がんだった。先月末、このことは知らされていた。だから、産後1カ月を待ってすぐ、帰郷して孫を抱いてもらうつもりだった。知らせを受けた妻は当然「実家に戻る」と言った。私の父も母も、義姉も、妻の産後の肥立ちと息子のことを心配し「無理をしないで」と説得した。実家が近い場所なら何とかなるが、鹿児島は車でも新幹線でも、飛行機でもかなりの長旅となる。私の父からは「かげみちからも、じっとしているように伝えなさい」と言われた。けど、もし私が同じ立場だったら、自分も帰郷すると言い張るだろう。妻のことも、息子のことも心配だけれど、親の葬儀に出ちゃいかんとは、私の口からは言えない。

 心を決めている妻は、病室で荷物をまとめている。妻の携帯電話が鳴った。妻の口調から義母だと分かった。私は部屋を出た。外でしばらく待った。中の声が途絶えたので、そっと部屋に入った。妻は「私はいかない。代わりにあなたが行って」。出産前、妻が義父と電話で会話し、最後に言われたのが「もし何かあったとしても、自分の家族を大切にしなさい」だった。妻は義母から「あの言葉は遺言よ」と言われ、翻意したのだった。こういう時、どの選択が正しかったかは誰にも分からない。私はどれぐらい、妻の心痛を理解してあげることができただろう。

 産後5日目の妻と息子を残して家を離れるのも辛い。けど、たぶん、今できることはこれしかない。娘2人を連れ、車で九州へ向かった。時は既に夜。直接鹿児島に行かず、今夜は佐賀の私の実家まで行って休み、明朝葬儀へ向かうことにした。車に乗った途端、雷雨。日付が変わり、午前2時前に佐賀の実家に到着。

■2006/08/01(火)張り切ったのに
 今日は朝から張り切っていこう。午前6時起床、朝食の準備(夜勤が染み付いてるから数時間しか眠れなかったけど)。朝食といえばご飯とみそ汁。パンやコーンフレークばかり食べてると目が青くなるっていうぜ。さらに、ソーセージを炒め、納豆。あえて和洋ごちゃ混ぜにすることで、リゾート先のホテルの朝食バイキングっぽい気分になる。娘たちを起こし「ラジオ体操に行ってこーい!」と送り出す。私は15分後にすぐ食べ始められるよう、準備万端。ところが。20分経っても、25分経っても娘たちは戻ってこない。30分後、疲れた顔をして戻って来た。ラジオ体操ぐらいでそんな顔になるのかあ? 訳を聞くと、子どもたちは集まっていたが、最後までラジカセを持った大人は来なかったという。そんなバカな。子ども会の連絡用紙を確認する。「お盆休み8/7-8/22」とある。今日はまだ8月になったばかりだ。ところが。2枚ほど下に「お詫び」というタイトルで、小さな文字の紙がある。何だこりゃ? そこには「お盆休み(正)8/1-8/22 (誤)8/7-8/22」の文字。ラジオ体操実施期間が短縮されたらしい。それにしてもこの文字の小さいこと、小さいこと。それじゃ新聞の訂正かっつーの!(自虐的)

 さて。今日は色々と用事を済ませたい。朝食を終えたところで娘たちを留守番させ、私は産院へ。出生届を受け取った後、市役所に提出。さらに、その足で会社に向かい、会社用の出生関係書類一式を受け取り。役所でかなり時間を食い、時間は正午を超える。急いで帰宅、昼食の準備。

 娘たちに昼食を食べさせながら、同時並行で夕食の準備。今日は「豚汁風牛汁」。普通「-風」と付く場合、本家より安い食材を使うことが多いが、私の場合は違う。豚汁を作ろうと思っていたのに、間違えて牛肉を解凍してしまったので、そのままゴリ押し。無理を通せば道理が引っ込むとはこのことだ。

本当に生まれた直後より

 昼食後、娘たちと一緒に風呂場で水浴び。「水遊びだぁ」とごまかしつつ、下の娘の洗髪等を済ます。子どもは夜になったら急に爆睡しちゃって風呂のタイミングを逸することがある。午後3時半、下の娘の音楽教室(上の娘も付いて来た)。自宅に戻り、今度は午後6時から上の娘のバレエ。夕食の最終準備をしながらちらと見ると、下の娘はリビングの床で大の字になって爆睡中。あらら弱った。とりあえず、上の娘と2人で夕食。牛汁に豆腐ハンバーグを付けたら「こんなに食べれんよー」。具材はたくさん入ってるけど、2品しかないってば、頼むから食べてよ。そうこうしていると「ファクスの修理にお伺いしたいんですけど」の電話。妻が出産前に予約していたやつだ。6時前でよろしいですか、などと言われ、こちらもバタバタしていて「6時はバレエです」と、言わなくてもいい家庭事情などをうたってしまう。とりあえずファクス修理は午後7時にしてもらい、上の娘をバレエ教室に送る。下の娘は爆睡中だ、すぐに戻るからそのまま寝かそう。

 自宅に戻り、しばらくすると「ファクス修理、今からよろしいですか?」の電話。へいへいと返事をしていると、爆睡娘が起きた。寝ぼけている。さぁ、夕飯にするから手を洗っておいでというと、素直に動く。ほどなく修理業者さん到着。下の娘は脳がまだ働いていないようなので、スプーンを口まで運んで食べさせる。「おいしいよ」という言葉は出るが、手は止まったまま。結局、最後まで食べさせた。食べ終わって一言。「なんで今日はアタシだけ先にご飯なん?」。違います、みんな食べました。

 上の娘のバレエ教室が終わる午後8時が近づく。修理業者さんはまだカチャカチャとドライバーを動かしている。下の娘と2人っきりにするのはまずいだろうなあ。娘を連れて出て、業者さんだけにするのはもっとまずいなあ。かといって、戻るまで外に出といてくれというのも失礼だしなぁ…っと、そんなことを考えている間に修理終了。おっけー、すぐ迎えに行こっと。

 そんなこんな。娘たちを寝かせた後、深夜の洗濯。今日ホークスは快勝とはいかなかったけれど、何とかリードを守り切った。王監督の退院も明日に決まったそうだ。そういえば、妻と息子の退院も明日。これは何かの縁に違いない。何しろ、息子の名前は「タカヤ」。どんな漢字かって? もちろん「タカ」は「鷹」。強く羽ばたき、監督孝行のホークスナインのように育ちますように。娘たちと同じ「あ段」の文字だけで統一、「カ」は下の娘から、「ヤ」は上の娘から。3人の名前を連続して読むと、ちょっと早口言葉風。

(写真と本文は関係ありません)←一度、こういうただし書き付きの連載をやってみたいよね、という願いをサイトで実現。写真は生まれたばかりのへその緒付いたままの長男。赤ちゃんはやっぱ赤いね(今さら)



過去の日記はこちら   

 

 

トップページに戻る  

 

inserted by FC2 system