==2005年1月のFDH計画==


2005年1月16日 愛しのスタジャン

FDHジャンパー1FDHジャンパー2

愛用してきたFDHのジャンパーです。「FUKUOKA」「Hawks」「1989」それぞれの文字に思い入れがあります。かなり、げに、まっこと、ぶち、がばい気に入ったスタジャンでした。FDHが消えてなくなっても、一生、大事にしようと思っていました。ええ、思っていました。


2005年1月17日 形あるものは…

FDHジャンパー破れる

一生大事にしようと思っていたスタジャン。そういえば、少しばかりほつれができていたことを思い出しました。タンスから出し、ちょいとポケットをいじったら…。ビリビリビリ〜〜ロカビリ〜〜という無情な音とともに、こんな形に。もはや中綿丸見え、補修が困難な状態に。とほほ。うほほ。


2005年1月18日 創作意欲わく

ジャンパー活用図面

嘆いてばかりはいられません。スタジャンとしての一生を終えてしまったのであれば、他の方法で使い続ける方策を探すしかありません。ふつふつと創作意欲がわいてきました。色鉛筆を取り出し、こちょこちょとお絵描き。さほどうまい絵だとは思いませんが、自分の描いた絵は好きです(少しばかりナルシスト)。子どものころから絵を描くのは好きでしたし、そんな自分も好きでした。文字を列ねることも子どものころから好きなことでしたが、今では絵を描くときほど無邪気にはなれません。導いた結論は「趣味と実益を兼ねることは私にはできない」。実益を得ようとすれば、趣味の範疇を超え、楽しい作業にも苦しみが出てきます。


2005年1月19日 家内制手工業の始まり

ジャンパー活用素材陣

私の描いた設計図らしきものを基に、妻が必要な材料を買ってきてくれました。私の「肌身離さずFDH計画」に妻が賛同してくれ、ここからの作業を頼んでみると、快諾してくれたのです。さあ、家内制手工業の始まりです。これからは私は細かく寸法を決め、妻には細かい作業が待っています。ぼちぼちやりましょ。


2005年1月29日 裁断

昨28日、正式に福岡ダイエーホークスの株98%がソフトバンクに移り、FDHが名実ともにこの世から姿を消してしまいました。先日、ダイエーが売れ残ったグッズを福岡市内の学校などに寄付したというニュースがありました。子どもたちのことですから、それらのグッズはみな、ぼろぼろになってしまうのでしょう。形あるものはすべて壊れる。これは仕方のないこと。けれど、私はいい大人ですので(この場合の「いい」はniceもしくはgoodとは違う)、なくなる物を惜しみつつ、別の形で残すのです。

裁断した布その1表裁断した布その2裏

大事にしてきたスタジャンに、しかもこの世からFDHが消えてしまった直後に、はさみを入れる。感傷的にならずにいられましょうか。志半ばに引退した関取のまげを切り落とす親方の気持ちが分かるような気がします。あくまで、気がしただけです。ほんの出来心です。
まず裏地を縫い目に沿って外します。そして、腕の部分、胸の部分、背中の部分と順番に分離。最後に、背中と胸のロゴ部分を四角に裁断しました。愛用のスタジャンがこの世から消え、「材料」となった瞬間です。ここまでくると、もう感傷的ではありません。引退した関取も、相撲解説者として第二の人生を歩み始めました。


2005年1月30日 ミシンマシン

先日読んだ第99回文学界新人賞受賞作「初子さん」は、洋裁で生計を立てる女性の話でした。ミシンねえ…自分には縁遠い世界だなあと思っていたのですが、ひょんなことからやってみることになっちゃいました。せっかく立ち上げたFDHプロジェクト。福岡では大々的にソフトバンクホークスのイベントが行われたこの日、私はひっそりと夜なべです。

妻愛用のミシンの前でチェック柄を縫う

左側の写真はミシンと「材料」。昨日、切り取った材料を「部品」とすべく、ほつれが出ないよう、周囲をぎざぎざ縫い。指導者は妻です。当初、縫い物は妻にお願いしようと思ったのですが、せっかくのプロジェクトですし、自分でできることは教えを請いながらやってみようかなと。指導者妻、縫う人私ということで、撮影者がいないので、作業の合間に撮りました。
右側の写真は、FDHプロジェクトを補完するそのほかの材料の一部。私のチェック柄好きは有名で、知らない人以外は皆知っているぐらいです。この写真は、裁断したチェック柄布の周囲に、ほつれ防止のぎざぎざ縫いをした後。糸はオレンジっぽい赤(もちろんFDHを意識しています)を選んだのですが、これがなんと、チェック柄の線とドンピシャリ。分かりますでしょうか、一番上の赤っぽい線が縫った糸、その他の赤っぽい線がチェック柄です。ほとんど同じといっても過言ではないですよ、ほんと。

そんなわけで本日、必要な材料の裁断が終了。ほつれ防止等の作業も粗方終わりました。すべての材料が部品となったわけです。ブタバラブロックがブタバラ200グラムパック入りになったようなものですな。明日からは、ブタバラの調理に移ります。さて、何ができるのでしょう。


2005年1月31日 洋裁のできる男

昨日に引き続き、本日もミシン&針と糸に向かって奮闘。このコンテンツの趣旨は、洋裁の手順紹介ではないので、細かいことは書きません。肌身離さずFDH計画なのです。そこんとこ、よろしく。今日はバイアステープとやらを縫い付けたり、裏地と表地を縫い合わせたり。そんなことをやっていました。重ね合わせた布が厚すぎて、針を1本折ってしまいました。Gパン用の針でも買わなきゃだわ。

ポケットの中には夢が…

本日の写真はこちら。スタジャン時代は胸のマークでした。これが切り取られ、四角に裁断され、バイアステープとともに裏地と縫い合わされ、天、左右がさらに折り曲げて縫い込まれ…(受動態で書いてますが、切ったり縫ったりするのは私)。写真で見ると1月29日との変化はさっぱり分かりませんが、裏地と一緒になったことで強度が増し、かなりがっちりした感じになりました。なんだか糸が曲がってない?と思いますよね。このジャンパーの素材は引っ張ると伸びるので、裏地と縫う時、まっすぐにするのが意外と難しいのですよ。以上、言い訳。
縦25センチ、横20センチのこの部品は「ポケット」になる予定です。段々、全体像が見えてきましたね。少しずつ、作業が本格化。本格化するほどに、私の出番は減っていきます。私の役目はサスペンスドラマに例えると、開始10分で川に浮かぶ人。事件を解決してくれるのは、我が妻です。我妻栄ではありません(この駄洒落が分かる人はいるだろうか…)。


2005年2月の肌身離さずFDH計画に続く 


肌身離さずFDH計画のトップページに戻る 

トップページに戻る 

 

 

  inserted by FC2 system